日光東照宮の歴史・概要
日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)は、栃木県日光市にある江戸幕府を開いた徳川家康を祀る神社です。
1616年(元和2年)に家康が駿府で死去した時に、家康の遺命により駿河国にある久能山に葬られ、久能山東照宮が造営されました。
翌年の1617年に2代将軍の徳川秀忠が天海僧正に命じて、日光に移されることになり造営され、神仏習合によって祀られました。
三代将軍徳川家光が、寛永の大造替を実施し荘厳な社殿への大規模増改築が行われ、国宝となっている陽明門もこの時造られました。
主祭神は、徳川家康公ですが、豊臣秀吉と源頼朝も併せて祀られています。
春と秋に行われる「百物揃千人武者行列」では、徳川家康・豊臣秀吉・源頼朝の神輿が並んで進んでいきます。
日光東照宮と二荒山神社・輪王寺を併せた二社一寺で、「日光の社寺」として1999年にユネスコの世界遺産に登録されています。
日光の社寺は日本で10番目の世界遺産登録です。
ちなみに日本で初めて世界遺産に登録されたのは、1993年に登録された姫路城と法隆寺です。
日光東照宮には、有名な「陽明門」「三猿」「眠り猫」などの国宝や文化財がたくさん保存されていて、すぐ近くで楽しむことができます。
PR
日光東照宮の見どころ
五重塔
五重塔は、関ケ原の戦いにも従軍した初代小浜藩主で幕府大老も務めた酒井忠勝が寄進し、1650年(慶安3年)に造られました。
家宰により焼失し、現在ある五重塔は1818年(文政元年)に10代小浜藩主の酒井忠進が寄進したものです。
この五重塔は、心注が屋根からぶら下がっていて、土台に着いていない構造になっています。
この構造のためのか、2011年の東日本大震災の時も損害がなかったようです。
毎日ではないのですが、五重塔付近にガイドさんがいて、この五重塔について詳しく解説してくれます。
陽明門
陽明門は、拝殿の手前にあり建物のいたるところに極彩色の彫刻で覆われているため、一日中見ていても飽きないことから「日暮御門」という別名もあります。陽明門という名前は、京都の平安京にある門の一つからとられています。
寛永の大造替時に建てられ、大きさは高さ11m、間口7m、奥行4mです。
昭和26年に国宝に指定されています。
鳴き龍
鳴き龍は、陽明門の正面に向かって右側にある薬師堂の中にあります。
薬師堂の天井に、左甚五郎が描いたとされる鳴き龍があります。
この薬師堂は、輪王寺の一部なのでお坊さんが鳴き龍の下で柏木を打つ実演をして龍が鳴いているような音を聞かせてくれます。
ちなみに、この薬師堂は輪王寺との帰属問題があるんだそうです。
三猿
表門を入って左手にある「神厩舎」の長押(なげし)に三猿があります。
猿の彫刻は三猿だけでなく生まれてから死ぬまでのライフイベントを16匹の猿で表しています。
三猿は幼少期で悪いことを見たり・聞いたり・言ったりしないで素直にまっすぐ成長するようにという暗示だそうです。
毎日ではないですが(日曜日が多い?)、神厩舎には白馬が繋がれていることがあります。
本殿、拝殿
日光東照宮の最も重要な場所が拝殿・石の間・本殿の三つの建物で構成される御本社で、これらも寛永の大造替の時に建てられたもので、国宝に指定されています。
拝殿内は、現在は拝観料さえ支払えば誰でも見学するが出来ますが、江戸時代は大名以外は立ち入りできなかったそうです。
眠り猫
眠り猫は、日光東照宮の東回廊にある奥宮に続く潜門の梁の上に彫られてる木彫像です。
伝説的な彫刻職人である「左甚五郎」の作品だと伝えられています。
眠り猫の反対側には雀の彫刻が彫られています。
奥宮宝塔
奥宮宝塔には、徳川家康公の遺骨を納められている墓所です。
パワースポットとしても有名で、パワーが強いとも言われていて近くに「叶杉」があり願いが叶うようです。
奥宮に行く途中に、鹿がいたことがありました。
ラッキーだったかも?
日光東照宮のアクセス・駐車場・拝観料
日光東照宮へのアクセスは、電車で向かうならJR日光駅か東武日光駅から徒歩かバスですね。
神橋の交差点を先頭に大抵渋滞しているのでバスよりもお店を見ながらぶらぶらと歩くのがおススメですね。
車で行くなら、一番近い駐車場は隣の二荒山神社の駐車場がおススメです。
ちょっとした穴場でもあるため、日光東照宮の駐車場よりも空いています。
といっても、午後に到着するならそれなりの待ち時間あります。
日光東照宮の拝観料は、大人で1,300円です。
最近は、拝観券の自動販売機が設置されてました。
有人の拝観券売り場も併設しています。
チケット購入のために行列がある場合は有人の売り場に並んだ方が早く流れることが多いです。
<<関連記事>>
・石畳のパワースポット
・三猿改修
・百物揃千人武者行列
PR