名古屋城の概要・歴史・見どころ
名古屋城は、日本三名城のひとつされていて近世城郭技術の完成期に築かれ、徳川幕府の威信をかけて当時の最新技術をつぎ込まれています。
名古屋城の築城時期は、今川氏が尾張進出のために築いた拠点から始まり16世紀前半でした。天文七年(1538年)に織田信秀が今川氏豊から奪取し那古野城と改名しました。この那古野城は、名古屋城の二之丸一帯にあったと考えられています。
那古野城は、織田信長の出生地だったという説もあります。(愛知県稲沢市にあった勝幡城が織田信長の出生地だったという説が有力なようです。)
関ヶ原の戦いの後に、徳川家康が清州から名古屋に尾張の中心地を移転し、名古屋城の築城を進めました。慶長十五年(1610年)に西国諸大名に命じて天下普請で名古屋城の築城が開始されています。
完成後は、徳川家康の九男義直が入り、御三家筆頭の尾張徳川家十七代の居城となりました。
・本丸表二之門
南二之門とも呼ばれた本丸南側の桝形門です。
現存する数少ない名古屋城築城時の建造物です。
・天守閣
大天守と商店主を橋台によって連結した連結式層塔型で、大天守は5層5階・地下1階で天守台含めて55.6mの高さでした。
昭和二十年(1945年)5月14日の名古屋空襲で焼失しましたが、昭和三十四年(1959年)に鉄骨鉄筋コンクリート構造で再建されています。
1945年まで現存していたので、構造などの資料が残っているので名古屋市長だった河村市長により木造復元構想が計画されています。
2024年3月現在で、耐震構造が不十分なため立ち入り禁止となっています。
・本丸御殿
本丸御殿は、尾張藩主の政庁・住居として造られましたが、初代藩主の徳川家康の九男義直は二の丸御殿へ移り、本丸御殿は徳川将軍専用の宿泊所となりました。二代将軍秀忠と三代将軍家光と十四代将軍家茂が上洛途中に宿泊したという記録があります。
昭和20年5月14日の名古屋大空襲時に天守と共に焼失しました。
2005年に本丸御殿の復元が計画されて、2017年に復元工事が完了して、2018年6月から一般公開されています。
・本丸・二ノ丸以外の遺構
名古屋城の本丸・二ノ丸が観光スポットとして注目されていますが、その周辺の三の丸付近にも名古屋城の遺構は現存しています。
名古屋城南西の御園門跡の遺構は、空堀・石垣が現存し見ごたえがあります。
三の丸南側には空堀が数百メートル残っているので御園門から東側に名古屋城の遺構を眺めながらフラフラと散歩するのもいいかもしれません。
明和高校付近にも、東大手門跡や三の丸の土塁などが現存しています。
名古屋城へのアクセス・駐車場
名古屋城へのアクセスは、地下鉄名城線「名古屋城駅」7番出口から徒歩5分ほどです。
名古屋駅から出ているなごや観光ルートバス「メーグル」なら名古屋城正門前が最寄りです。
駐車場は、正門前の南側に300台ほどの駐車場があります。
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